第15回賃金を上げるために根本から経営を見直すことが必要
1.なぜ賃上げの重要性が強調されるのか
2015年の日本経済の流れを読むための一つのキーワードは賃上げである。大幅な賃金上昇をどう確保するのかということが日本経済全体を浮揚させる大きな鍵を握っている。政府もそのことを認識しており、政労使の場などで賃上げの要請をしている。
この賃上げの話は、マクロ経済で見た政策の問題であるという以上に、企業経営の中核に迫る問題でもある。労働人口の減少によって慢性的な人材不足が広がるなかで、より高い賃金を提供するためには労働生産性を大幅に引き上げるような経営が求められる。労働生産性を引き上げられない企業は市場からの退出を求められる。賃金上昇圧力とはそういうことであるのだ。
まずマクロ経済の観点から賃金上昇についてコメントしておこう。安倍内閣は政権発足の比較的早い段階から、賃金上昇の重要性を強調してきた。そこにはいくつかの理由がある。一つは物価上昇に伴う実質賃金の問題である。デフレ脱却のなかで、日本の物価が少しずつ上昇を始めている。残念ながら物価上昇が進んでも、賃金上昇がそれに追いつくのには時間がかかる。
もしこうした状態を放置すれば、一般の国民から見れば、物価上昇で実質賃金が下がる、つまり生活レベルが下がると感じることになる。脱デフレ策を政策の中核に置く安倍内閣にとってこうした状況は好ましくない。そこで少しでも早く賃金上昇が物価上昇に追いつくよう、賃金上昇の重要性を強調してきたのだ。
賃金上昇は、デフレ脱却を確実なものとするうえでも重要な意味を持っている。賃金が着実に上昇していかないかぎり、物価の持続的な上昇もありえないからだ。アベノミクスの初期段階では、円安による資源や食料価格などを反映した物価上昇が始まった。しかし、円安による物価上昇だけでは、円安効果が一巡した段階で、物価上昇は止まってしまう。そこでまたデフレに戻っては元も子もない。
物価が安定的にかつ穏やかに上昇していくためには、賃金が上昇することが必須となる。賃金が上昇すれば、人件費の上昇を通じて、物価にも跳ね返ってくる。賃金上昇と物価上昇の好循環が回って、はじめて持続的な物価上昇が続くのだ。最近の記者会見で日銀総裁が賃金上昇の重要性を強調することがあったが、これも同じような理由によるものと考えられる。
以上の二つの理由に加えて、ここに来て景気の浮揚ということでも、賃金上昇の重要性が認識されるようになってきた。企業収益は過去最高に近い状況である。労働市場も完全雇用に近い。それでも消費はなかなか拡大していかない。それだけ国民全般にまだデフレマインドが強いということだろう。
企業の高い収益を消費に結びつけていくためには、企業が賃金を大幅に上昇させることが鍵となる。賃金が上昇すれば消費も拡大していく。消費が拡大することで景気がさらに刺激されれば、賃金上昇➡消費拡大➡企業業績改善という経済の好循環が始まるのだ。
経済界も賃金上昇の重要性を強く認識している。政府と労働者と経営者の集まる政労使の場で2015年の春闘での賃上げの議論が活発に行なわれている。賃上げだけが強調されて労働市場改革が進まないことには警戒しつつも、賃上げが重要であることは多くの経営者が認めている。政府からの後押しもあり、今年の春闘の賃上げは注目されるところだ。
2.より高い賃金を払える会社が競争に勝ち残る
賃上げは、企業の現場の経営にも深く関わった問題だ。そして、日本経済全体に広がる労働者不足の問題とも深く関わる。人材確保ができず一部の店を閉めたゼンショーのすき家や和民などのケースは、多くの企業が直面している課題を浮き彫りにしている。
急速な生産年齢人口の縮小によって日本で労働不足が広がることは明らかだったはずだ。しかし、長引く景気低迷で、企業現場では安いコストの労働を潤沢に利用するという経営が残ってしまっていた。デフレから日本経済が抜け出そうとするなかで、構造的な労働者不足の問題が一気に吹き出そうとしている。
考えてみれば、デフレ時代の10年の間にも、労働者不足は明らかだった。建築や流通だけでなく、バスやトラックの運転手、介護や医療の現場、美容師や警備会社など、あらゆるところで人材不足が顕著になっている。人材不足は必ず賃上げにつながっていくものである。いまはまだデフレマインドが残っていて、賃上げはあまり顕著ではないと感じている経営者も多いかもしれないが、いずれそれはより顕著になってくるだろう。
低賃金労働に過度に依存した企業は厳しい事態に追い詰められることになるだろう。より高い労働生産性が実現できて、高い賃金を払って有能な人材を確保できる企業が競争上も有利となる。高い労働生産性を実現するためには、経営を根本から見直す必要が求められることもあるだろう。日々マスコミで好調な業績が報じられる企業の事例を考えてほしい。その多くは、労働生産性を高めるための努力を続けてきており、結果としてそれが利益につながっているのだ。
トヨタ自動車、セブン-イレブン、ニトリ、ユニクロなど、いくつもの会社が思い浮かぶ。大企業だけでなく、革新的な経営で高い成果を上げている中小中堅企業も多くある。その一方で、安い労働力に頼った経営をしてきた企業のなかには、厳しい状況に追い込まれているところも少なくない。
賃上げの動きは今後ますます顕著になってくるはずだ。前半で述べたように、政府もそうした動きが早く顕在化するように圧力を強めている。労働者不足で困っている現場の話は、いろいろな業界から聞こえてくる。こうした一連の流れの先にあるのは、他の企業より踏み込んだ形で高い生産性を上げる経営を実現できた企業が、競争上も非常に有利な位置につくということだ。労働生産性を高めるためには、乾いた雑巾を絞るようなことだけではだめだ。ビジネスモデルや生産現場を根本から見直す改革が求められる。そうした改革に成功する企業が増えないかぎり、日本経済全体が浮揚することもない。