株式会社共同通信社 古賀尚文

Guest Profile

古賀尚文(こが・ひさふみ)

1947年東京都出身。1971年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一般社団法人共同通信社入社。1976年、社会部配属、警視庁キャップ、社会部部長を経て、2011年株式会社共同通信社社長。14年6月退任し、相談役に。地域活性化センター理事、十文字学園評議員・理事、柔道整復師研修財団理事など歴任。

特集通信社の枠を超えた 事業を推進する企業の「人をつなぐ力」

1.事件が好きで人が好きだから誰とでも会ってくれる

 出会いは3年前のある会議室だった。僕は2011年9月に東京で開催された「日印グローバル・パートナーシップ・サミット」の実行委員に選任されていた。そのミーティングでたまたま隣の席に座られたのが、株式会社共同通信社の社長で同じく実行委員であった古賀尚文さんだった。

 ご挨拶すると、ヒューマンコーディネイターという肩書きで、プロフィールや著書、過去の経歴がびっしりと書かれた僕の名刺を面白がってくれた。僕はそれがとてもうれしくて、古賀さんとある経営者との会合をセッティングさせていただいた。それが縁で、僕は共同通信社の業務アドバイザーとなり、たくさんの方を紹介させていただいている。

 ただ、なぜ古賀さんはあのとき、偶然隣の席に座っただけのどこの馬の骨ともわからない私などを信用してくれたのだろう。その不思議を解きたくて今回の取材に臨んだ。

 共同通信社には2つの法人がある。世界50都市以上に支局または通信員を置く日本最大の通信社である非営利の一般社団法人共同通信社。その子会社であり営利事業を行なうのが株式会社共同通信社、通称「KK共同」。古賀さんは11年6月よりKK共同の社長を務めていた(注・取材時。14年6月19日に退任し相談役に)。

 古賀さんは1971年に一般社団共同通信社に入社し、社会部の記者として35年、ずっと警察の傍で事件を追ってきた叩き上げだ。

 新聞記者はいかに他社が知らない情報を早くつかむかの勝負だ。

「特ダネを取るためには、どのように人と接するかが大変重要です。警視庁に行って、ただ『捜査状況を教えてください』と聞いても警察発表以上のことは教えてはくれない。周辺取材で警察の動きを調べ、『捜査二課の何班が動いているらしいですね』と切り込む。そこでさらに、相手が持っていないネタを流す。それがうまくいってやっと他社の知らない情報が手に入る。ギブアンドテイクです。そうするために新聞記者は複数のキーマンとつながりを持ち、自分の足で聞き込みして、独自の情報を持っている必要がある。いかにアンテナを張れるかですね。

 事件の筋を読むことも大事です。例えば捜査二課の周囲から『どうも汚職事件がありそうだ』と情報が入ったら、まずは周辺取材をし、贈賄がA社、収賄が誰、とわかったら、どんな目的の金で、どうやって渡したのか、どんな見返りがあり、その企業はどれだけの収益が上がるのか、ならば贈賄額がどれぐらいか……と筋を読みながら取材をする。裏が取れたら記事にし、さらに取材を進めます」

 古賀さんは広域暴力団の数々の犯罪を取材し、背筋が凍る思いも何度もしたという。オウム真理教報道の際は警視庁キャップとして指揮を執った。記者が信者に尾行されたこともあったらしい。

 それでも「事件が好きで、人が好き」と古賀さんは言う。ああ、なるほど。古賀さんは経営者となったいまでも記者時代と同じで、アンテナを広く張っているのだ。あの日、隣に座った僕を信用したのではなく、あらゆる先入観なしに他者に興味を持つ人なのだ。ヤクザでも非行少年でも政治家でも経営者でも、古賀さんにとっては情報源であり、興味の対象なのだ。

2.ミャンマーと日本の企業をつなぐ事業を活発化

 そんな古賀流の経営とは――。

「経営とはまさに人だと考えています。顧客も取引先も、社員もその家族も人です。それぞれの人が喜んで満足してもらえるのが経営の基本。誰かが泣くようなことがあれば、それは経営失格です。また私はさまざまな優れた経営者にお会いし、『事業の拡大』が重要なのだと感じました。『小さな器には少しの水しか入らないが、大きな器には沢山の水が入る』。だから、『大きな器にするための決断と実行』が経営者に求められていると感じています」。

 そう語る古賀さんが事業拡大に向けて最も力を入れてきたものの一つがミャンマー事業だ。テイン・セイン大統領政権下で民主化が著しく進むミャンマーは13年3月、西側諸国のメディアの支局開設を初めて認可した。米国のAP通信と、共同通信社、NHKの計3社のみ。そこで共同通信社はミャンマー情報省と地元企業と合弁で新聞社を作り、今年7月より英字新聞を発行するそうだ。

「2年半ほど前、私と一般社団共同通信社の石川(前)社長でテイン・セイン大統領にお会いして民主化について尋ねたとき、大統領は『ミャンマーの車にはバックギアがついていない。前進あるのみです』とおっしゃった。そこで石川社長は『ミャンマーの民主化のために欠くべからざるものはメディアの発展です。そのために共同通信は全力を挙げて応援します』と答えた。それがいまにつながっています」

 さらに古賀さんはミャンマーの経済発展に向けてさまざまな事業を進めているという。

「ミャンマーの国土は日本の1・5倍で人口は6千万人。GDPの4割が農業という有数の農業国ですが、農業インフラはまだまだ。そこに日本の農地改良技術を持っていけば、国民の生活がより豊かになるでしょう。またさまざまな産業の可能性を海外メディアがクローズアップし、私たちが企業と企業をつないでいく。すでに当社へも日本のゴミ収集車を売ってほしいという要望があり、東京都から中古のゴミ収集車を送る段取りもつけています。また同国は小回りが効いて中小企業と密着して地場産業を盛り上げてくれる日本の地方銀行や信用金庫の進出を望んでいる。そこで当社はミャンマーの財務大臣に訪日してもらい、日本の地銀や信金を集めて検討会を計画しています」

 そんなチャレンジ精神に満ちた古賀社長の部屋には座右の銘として、「倜儻不羈」という書が掛けられている。「優れて独りあり、拘束されない」を信条に、媚びず、阿らず、謗らず、ただ、ひたすらにもの思うところを貫く心構え、という意味だそうだ。

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