Guest Profile
荒井正昭(あらい・まさあき)
高校卒業後2浪の末、不動産会社株式会社ユニハウスに入社。10年間勤務後、1997年独立し、株式会社オープンハウスを創業、代表取締役社長に就任。センチュリー21のフランチャイズに加盟し、全国1位の売上を記録する。2012年にフランチャイズから脱退し、現在のスタイルを確立。2013年に東証一部上場。「東京に、家を持とう。」をキャッチコピーに業績を拡大し、2019年度には売上高5000億円の到達が見込まれる。
特集若者に夢を見てもらうために、売上高1兆円を目指す
1.割安でシンプルな3階建て住宅に活路を見出す
売上高1兆円、株式上場をした企業で調べれば、2019年9月末現在で158社存在する。不動産業界で見れば、住友不動産が1兆円の売り上げを誇る。売上1兆円という数字は大企業の中でもかなり選りすぐりの企業であることが分かる。そんな夢のような売り上げを目指すのが株式会社オープンハウス、代表取締役社長を務める荒井正昭だ。
オープンハウスは、木造3階建ての一戸建てを中心に提供している。都内で働くサラリーマンが、通勤時間をできるだけ減らして家族との時間を大切にしたい思いから、できるだけ都内に住み、安く家を購入したいというニーズを持っていることを荒井は前職の不動産仲介業で把握していた。しかし、都内の土地は高く、なかなか手が出せない。そこで荒井は、大手不動産業者が手を出さないような土地に目をつける。建築制限が厳しいエリア、いびつな形をした土地、墓地に隣接した場所などをターゲットにその土地を購入していく。
次に、1戸あたりの面積を小さくしていった。安く手に入った土地ではあるが、いびつな土地が多く、通常の作り方では設計が難しい。オーダーメイドのようなことになれば設計などにお金がかかり、相殺されてしまう。そこで荒井は、1つでも多くの一戸建てを建設し、それらをすべて3階建てにした。そして、設計上のヒントになるものをどんどん吸収し、コストの削減につなげていく。
あとは、シンプルさにこだわりを持った。都内に庭はいらない、床材にもそこまでお金をかけなくていいなど決めていき、最終的にコストを抑えることに成功した。
大手不動産会社が提供するものと比べると、少ないもので数%、多いもので10%以上安くすることができた。年収が500万円程度の人でも都内に家を構えられ、通勤も便利。生活の質、QOLを高めることにも貢献している。
2.リーマンショックはピンチではなくチャンスだった
2019年には売上高5000億円、将来的には売上高1兆円を目指すという株式会社オープンハウス。荒井はこの目標はさほど難しいものではないと表現する。むしろ、ゼロから1000億円の方が難しいと言う。なぜか。そこには荒井自身と、株式会社オープンハウスの成長を照らし合わせる必要がある。
荒井の不動産業でのキャリアは20代前半から始まる。最初は司法書士になろうと専門学校に入るための資金稼ぎで就職する。ところが、当時の荒井は仕事に対する情熱がない人間だった。口ではトップを狙うと言いながら、実現には程遠い。そんな生活を3年続けたある日、このまま30代を迎えたら、自分の人生はこのまま終わっていくと危機感を抱く。やるなら1年間、死ぬ気で仕事に取り組もう、そう決意を固めた荒井、待っていたのは快進撃だった。独立するまでトップの座は譲らず、年収は2000万円になった。そんな男にある疑念が浮かぶ。会社は安定ばかりを求めるが、自分はその働き方でいいのだろうかと。挑戦したい、自己成長したい、そう強く感じた荒井は独立を果たした。
株式会社オープンハウスの歴史はピンチとはあまり関係がなかった。初年度から黒字化、フランチャイズに加盟したセンチュリー21で全国売上1位を達成する、しかも複数回。ここでも快進撃を見せた株式会社オープンハウスにピンチが訪れる。きっかけは、荒井が毎年のように通うアメリカにあった。2000年代後半、アメリカは空前の不動産バブルを見せていた。とにかく売れるし、値段が高騰する。投資目的で不動産を保有する人もいた。年収が低い人は利率の高いローンを組んでいたが、みな幸せそうだった。これを見た荒井は、ある危機感を抱く。バブル崩壊の時と同じことが起きると。サブプライムローンが問題になった2007年、株式会社オープンハウスは一気に土地をリリースする。いずれ日本にもサブプライムローンの問題はやってくる、その前に処分しよう。社長の荒井までも現場に行き、売りに走った。翌年、悪夢が現実になる。リーマンショックが発生し、日本の景気は一気に悪化した。その時には株式会社オープンハウスは売り切っていた。悪夢を振り払うことに成功したのだ。
もう1つ荒井がラッキーだったのは、周りのマインドがあまりにも後ろ向きだったこと。景気を極度に悲観視している、なぜだ、切磋琢磨して選りすぐりの中の1社になればいい話ではないか、荒井はこの時、たくさんの土地を購入し、家を売った。この状況でも家を買う人はいると信じたからだ。その結果、株式会社オープンハウスはリーマンショック時点で200億円程度だったものが、2011年には700億円になっている。
ゼロから1000億円にするのは難しい、しかし、5000億から1兆円にするのはそこまで難しくはない、ピンチと思われたリーマンショックをチャンスに変えた男だからこその考えなのかもしれない。
3.完全な実力主義で、モチベーションの高い若者集まる
日本では年功序列主義が根強く、成果主義は何かと嫌われる。しかし、株式会社オープンハウスは完全な成果主義を掲げる。それでも若手社員はみな一様にイキイキとした顔を浮かべる。その理由は20代の若手社員の肩書を見ればわかる。早い人間は入社2年目で主任に昇格し、翌年には係長になる。上場企業でこれほどまでに早く昇進する企業はあるのだろうか。20代の管理職率は76%にも及ぶ。4人に3人は管理職、責任と権限が与えられた管理職が20代の社員の中で75%もいる。しかも、毎年のように100人200人と新卒社員が採用される。その中のほとんどが管理職になれる会社、それが株式会社オープンハウスだ。
20代社員の平均年収は上場企業の中でトップ。ここにも完全な実力主義であることをうかがい知ることができる。新卒2年目で最低でも420万円もらえる時点で、それなりにいい会社に思えるが、見るべきところはそこではない。まだ社会人になって2年目の、半人前扱いをされやすい若者が1年間で1000万円以上お給料をいただける。ドラフト下位のプロ野球選手ですら2年目でここまでもらうのは大変だ。平均年収は630万円、これだって十分すぎる数字だ。30代を迎える前に平均年収が1000万円に迫る。外資系企業ならわからないが、日本の企業でここまでやれる会社は少ない。
売上高1兆円を目指すため、若手社員は日々外に出て仲介業者に足を運び続ける。ライバルに先を越されないため、とにかく必死だ。その期待に応えるべく、荒井は売上高1兆円を目指す。1兆円という言葉は若者の心にも響くはず、漠然としたものにはわくわく感を抱かなくとも、具体的な、しかも異次元な数字に期待感を示す。そして、その数字は決して非現実的な数字ではない。今のままなら数年後には夢の1兆円が待っている。