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西川 徹(にしかわ・とおる)
1982年11月19日生まれ、AB型 ●業種:情報サービス業 ●設立:2006年3月 ●資本金:30万円 ●売上高: 2010年 1億3000万円 /2011年 3億3000万円 /2012年 3億4000万円 ●住所:東京都文京区本郷2-40-1 本郷東急ビル4階 ●電話:03-6662-8675 ●URL:http://preferred.jp/
特集受注仕事はやらない、外部資本は入れない 東大・京大混合会社の作るソフトウェアの「質」
1.小学四年にして目覚め、大学院時代には大企業に匹敵する会社は作れると思った
ゲームが大好きだったという西川徹。そんな彼が「読んだら面白くて、すっかりはまってしまった」というのが、父親が借りてきたFM−7のBASIC入門書。小学校四年生のことだ。
「ゲームを作りたいと思っていました。なにしろ、子どもにとって、ゲームは高いですから。当時パソコンは買ってもらえず、ペーパープログラミングをしたりしていました。パソコンを買ったのは中学に入ってから。初めて買ったのが九〇〇円という中古の富士通FM−7。キーボードなんかも割れていて自分でハンダで直したりしました。毎日、一日の半分以上はコンピュータの前にいたと思います。次に買ったのが、中古のNECPC−9801。メモリーが一メガくらいのやつです。その後ようやく、IBMのDOS/Vマシンを手に入れました」
中学生のころは、すでにゲームを作って友だちに見せていたという。中、高とコンピュータ部に入り、ゲームを作ったり、3Dのプログラムを組んだりしていた。東京大学に入学し、中学のころから決めていた理学部情報科学科に。
起業のきっかけとなったのは、ICPC世界大会だった。これは、世界中の大学生を対象に年一度開催されるプログラミングコンテストで、西川は大学一年生のときから東大チームのメンバーとして参加していた。
四年生で初めてアジア地区予選に出場、そのとき京大チームと知り合いとなった。京大チームとは、その後も交流が続き、「せっかく知り合ったんだし何かやりたいね」などと話していたという。その翌年には、両チームとも地区予選を突破し世界大会に進出した。
「世界大会では、各チーム五時間で八~一〇のプログラミングの問題に挑戦し、解けた問題数を競い合います。結局、京大と東大は一九位タイ。でも、確信したことがありました。それは必ずしもアメリカが大したものではないということ。そして、たとえば中国チームが一〇〜一五時間も練習しているのに、僕らは少ない時間で工夫して戦略を組んで戦った。つまり、チーム力を生かすことこそ重要なんだと。そのとき″ チーム力で大企業に匹敵する会社は作れる ″と思いました」
大学院ではコンピュータ科学を専攻していた西川だが、バイオベンチャーで働いてもいた。
「自分たちの作ったソフトが製品化されて売られることが単純にうれしかった」。そのバイト先で、「ベンチャーって楽しいんだな」と実感したという。その一方で、同じ研究室の岡野原大輔(現プリファードインフラストラクチャー特別研究員)が開発した大規模全文検索エンジンを何とか実用化できないかとも考えてもいた。
たどりついた結論が起業だった。
「どう稼ぐのかまったくわからないまま、二〇〇六年三月に創業しました。メンバーは、全員が東大と京大の学生。有限会社での出発で、資本金は三〇万円。これは株式会社になったいまも変わっていません。月々六〇〇〇円の家庭用インターネットを引き、一台二万円のパソコンを五台秋葉原で買い、エンジニアばかり六人が集まって会社を始めたのです」
とりあえず、速くて高機能な検索エンジンを作ろうということで、五月から作り始め七月に製品が完成(これが同社の主力商品である統合検索プラットフォーム「Sedue」のもととなっている)。
しかしまったく売れない。どう売ったらいいのかもわからない。しかも、「昔から人見知りのところがあって、いまだにネットワークイベントでも名刺交換がろくにできない」と言う西川。それでも「言いだしっぺだから社長になった」彼が、一人営業を担当した。メールを送ったり電話をしたり、もちろん飛び込みもした。ようやくその年の一二月、売り込み先の携帯検索エンジンの会社で、こんな機能はないのかと言われ、新バージョンを作り上げた。
初めて売れた。うれしくて全員そろってジンギスカン屋で飲みまくった、と西川は当時を振り返る。
とはいえ、一年目は六〇万円の赤字。「お金はないし、儲けてないのになんで税金とられるんだ」と思ったという。しかし、「製品と技術には自信があった」(西川)という言葉通り、同社は実績を重ね、着実に売上げを伸ばしていった。
「翌年は売上げ三〇〇〇万円、その翌年が一億円、四年目に一億三〇〇〇万、五年目で三億三〇〇〇万で、今年も三億四〇〇〇万円ぐらいですね。実は、一年ではいいものがなかなか売れるわけではなくて、二年経ってようやくという感じなんです。ですから、二年ごとに売上げが二・五倍という格好ですね。利益ですか? あまり出てないです。人件費と研究開発費で使ってしまいますから。ITで儲けるならソーシャルゲームのソフトを作るのが一番いいんです」
そう笑ってから、西川はまた元の経営者(あるいはエンジニア)の顔に戻り、「売上げを上げるっていうのは目的でなく手段です」ときっぱりと言い切る。
「売上げ規模が大きくなればそれだけ研究開発費用が増えていきます。それぞれのフェーズでそのバランスを考えていかなくてはいけない。その一方で、現行のパッケージ製品を安定させるための改良・開発と、新しいものをこれから作っていくための研究開発、この二つのバランスも難しい。ソフトウェアのライセンスビジネスで売上げを上げながら、新しいソフトウェアを開発していくビジネスモデルをきちんと整えていくのがこれからの課題です」
一から始める受注仕事はやらない。投資ファンドやベンチャーキャピタルの外部資本は入れない。という二つの方針を西川は守ってきた。
「システム開発はすぐに利益が上がるけれど、発注側に権利があって、こちらに財産として残らない。案件ありきの技術でなく、こちらの技術でできることを提案するやり方を貫いています。受注仕事では、自分たちの製品が広まらないですから」
外部資本に関しては、「バイト時代、いろんな投資家からいろんな意見が出て、その結果会社が崩壊していくのを目の当たりにしました。″ 子供心に ″これって何なんだろうって。それに、技術のことをわかっていない人と組んでも、ミスマッチが起こることは目に見えています」といたってクール。
「ただ、内部留保を貯めないといけないわけで、その意味ではいつも胃が痛いですね」
パートナーシップを組んでいるのは、むしろコンサルティング会社だ。ソフトの提供のほか、彼らにコンサルティングする。
「彼らは、正しい技術をきちんと正しく広めてくれる。結果としてわれわれの市場も広がっていくわけです」と語るその戦略は、徐々に成果を生んでいる。
現在最も注力しているのは、与えられたデータに含まれる特徴や法則を自動的に学習させるための″ 機械学習技術 ″。昨年には、NTTプラットホーム研究所と共同で、人の好みを的確にとらえる技術を開発し、新しい概念のソフトウェア「Jubatus(ユバタス)」をオープンソース製品としてリリースした。
「われわれの大きなビジョンとしては、最先端の技術を築き、それを広めていくことがあります。今後、研究開発を進めているわれわれの技術とシステムを、医療・ヘルスケアの分野、社会インフラの面で生かしていきたいと考えています。二〇年後には、ヒトゲノムがそれぞれすべて読まれているでしょうから、大量のデータを集積しそれを分析できるITシステムを構築しないといけない。けれど技術は積み重ねで、お金があればできるというものではない。積み重ねができる組織作りをしていきたいと思っています。やっぱり、IBMのような継続し技術を長く提供し続けている会社はすごいと思います。一つの目標です」
そう語る西川の眼差しはいかにも清々しい。
趣味は? と聞けば、「ずっと趣味だったコンピュータが仕事になってしまったので、困っていたんです。そしたら、ニコ動で見たアニソンにはまって、アニソンのライブに、ひどいときで月一〇回くらい行ってます」と、こちらの横顔はとても若々しい。いつもはスーツは着ないという西川、ふだんのTシャツ、ジーパン姿もきっと似合うに違いない。