株式会社NATULUCK 菅原智美

Guest Profile

菅原 智美(すがわら・ともみ)

1970年新潟県新潟市出身。89年、熊本の高校を卒業後、上京。全日空エンタープライズ入社。全日空ホテル東京に勤務する。94年、リクルートに転職。96年、LiCROSS株式会社入社。2004年、同社代表取締役社長に就任。07年、株式会社NUTULUCK設立。09年、代表として女性経営者の会「エメラルド倶楽部」の運営を開始。13年、株式会社インターサイエンスの社長に就任、事業改革を推進する。

特集女性のローカルモデルづくりを進め 女性経営者が活躍する社会を創る

1.接客を学び、営業力を身につけ成長企業のナンバー2に

 株式会社NATULUCK(ナチュラック)代表取締役、一般社団法人エメラルド倶楽部代表理事、同日本元気丸理事。菅原智美さんの名刺には3つの肩書きが踊る。貸し会議室&レンタルオフィス業のナチュラックを中心に「女性経営者を支援して、女性がもっといきいきと活躍できる社会を創る」という強い意志の表れだ。
 そもそも菅原さんが「働く」ということを意識したのは高校一年生のとき。親の転勤で、生まれ育った新潟から熊本に引っ越したことがきっかけだった。
「引っ越しが嫌で『自分に力があったら新潟に残れたのに』と思ったんです。『誰かに翻弄される人生は送りたくない。そのためには早く自立しなければ』と、高校時代はバイトに明け暮れました(笑)」
 高校卒業後は迷いなく、就職の道を選んだ。全日空エンタープライズに入社し、六本木の東京全日空ホテル(現・ANAインターコンチネンタルホテル東京)内のフレンチレストランに配属された。1989年、日本はバブル景気の真っただなかにいた。
「私の月給が10万円そこそこだった時代、1本10万円もするようなワインが一晩に何本も空くんです。カルチャーショックでしたね。5年後、10年後の自分を考えたとき、10万円のワインを空ける側の人間になっていたいと強く思うようになりました」
 そのためには「使われる側ではなく、使う側にならなければ」と思った菅原さんは、初めて「起業」を意識する。ある本に書かれていた「経営者はトップの営業マンでなければならない」という言葉に背中を押され、「営業力をつけよう」と、94年、リクルートへ転職。2年後にはドコモショップを運営する会社へと引き抜かれた。
 携帯電話がようやく普及しはじめた時代だ。そこから会社は急成長を続け、菅原さんもナンバー2に上りつめていた。

2.代表取締役になったとき、別世界が見えてきた

 会社にはなんの不満もなかったが、「経営者になろう」という初心を思い出し、社長へ辞意を伝えると、出てきたのは「僕が辞めるから、君が社長をやってくれ」という思いもよらない言葉。迷いはしたが承諾することにした。
「結果的には経験してよかった。商談するにも、ナンバー2でいたときには会えなかったような社長が直々に出てくる。ナンバー2と代表取締役では世界がまるで違うということがわかりました」
 業績も順調に伸ばし、入社当時は社員5人、ショップも1店舗だった会社が、社員数100人超、30店舗以上となっていた。そんなとき、「起業したい」という思いがまた頭をもたげてくる。
「傾向として、調子のいいときほど『このままじゃいけない』と思うようで(笑)。『起業して、もっと社会のためになることをしたい』と決意しました」
 そして、2007年に設立したのが株式会社NATULUCK。
「当時、ネットカフェが流行りだしていたんですが、男性サラリーマンばかりで、暗くて狭くて、居心地が悪い。女性向けの居心地のいいスペースができればいいなと思ったんです」
 1年目は苦労した。「ビジネスラウンジ」という言葉も耳なじみがなく、広告費を多くかけざるを得なかった。だが、空きスペースを貸し会議室として利用するなど、持ち前のアイデアを発揮し、どんどん業績を伸ばしていく。
 一方で09年に立ち上げたのが、女性経営者の会、「エメラルド倶楽部」だ。
「起業後、経営者の会に積極的に参加したんですが、女性経営者が極端に少ないんです。参加者100人中1~2人くらい。悩みを話せる同性の仲間も欲しかったし、尊敬する先輩女性経営者とも知り合いたかったのに、なかなか出会えない。それなら、そういう会を作ってしまおうと考えたんです」
 現在、登録者数は500人を超え、大阪、福岡、東北など地方支部も7ヵ所を数える。そんなエメラルド倶楽部を通じて感じたのが、「地方には女性経営者を認めない風潮がまだまだある」ということ。
「東京にいるとわかりませんが、『女性は家庭にいるべき』という考えがまだ根強い地方も現実にあるんです。そんな環境では『起業したい』と思っていても実現は難しい。エメラルド倶楽部で女性経営者を応援して、成功事例をどんどん発信することによって、これからの人たちの手本にしてもらいたい。新しい女性経営者をたくさん誕生させたいんです」

3.エステの経営を引き受け事業改革を進める

 ある民間調査会社のデータによると、女性経営者の割合がアメリカは25%、アジア各国では40%以上のなか、日本はなんと10%。この現実を菅原さんは憂う。
「女性がもっと能力を発揮できる社会を創りたい。女性経営者が増えれば、女性の雇用も増える。女性が活躍すれば、もっと日本が元気になると思うんです。そのビジョンにマッチすることはどんどんやっていきたいと思っています」
 その一環として、この3月から経営を引き受け事業改革を進めるのが、全国に10店舗を展開する「エステサロン トルクェ」(株式会社インターサイエンス)だ。
「重要なのが、女性社員のモチベーションを上げること。そのために、経営理念が各店舗で働く一人ひとりにきちんと伝わるよう努力しています。『自分は必要とされている』ということをしっかり感じられるように、それぞれの働く意味を考えさせて、その場を与えて働いてもらう。店長経験後のロールモデルの一つとして、独立もできるように起業支援制度も作りたいと思っています」
 そもそも「女性経営者」「女性起業家」などという言葉があること自体おかしいと菅原さんは言う。
「エメラルド倶楽部を通じて、そんな言葉がなくなるくらい女性経営者を増やしたい。そして日本だけでなく海外でも活躍できるチャンスを提供できるような会に成長させていきたいと思っています」

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