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古川 勝博(ふるかわ・かつひろ)
1959年広島県生まれ。85年3月、日本大学大学院修士課程修了。同4月株式会社エイ・エス・ティ総研入社(2001年に同社含む三菱商事系IT会社5社が合併、株式会社アイ・ティ・フロンティアとなる)。汎用機のシステムエンジニアを経験した後、多くのシステム開発およびインフラ構築案件をプロジェクトマネージャーとして担当。2004年4月、株式会社アイ・ティ・フロンティア執行役員就任。07年9月株式会社マーベリックを設立、代表取締役に就任。翌10月株式会社アイ・ティ・フロンティア執行役員退任。
特集裏方として情報システムを支え “ITの匠”のワザの伝承を図る
1.システムを稼働させる土台 IT基盤の構築が事業の柱
ITが、ヒト、モノ、カネと並ぶ、企業活動に欠かせない重要な経営資源であることは誰しもが認めるところ。人事、経理、総務といった社内システム、販売、受発注、在庫管理、顧客管理などの業務系システム、情報収集ツールでもありクラウドサービスの利用になくてはならないインターネットなど、これらのうちのひとつでも機能しなくなったりしたら大ごとだ。ITに関するシステムが日々、安定した稼働を続けるためのベースとなるのがIT基盤と呼ばれるもので、大きな建造物をつくる際の土台にあたるものといえば、その役割の重要さがわかるだろう。
このIT基盤の構築やコンサルティングを事業の柱に、上場企業(とくに製造業、運送業)を中心に顧客を抱えるのが、2007年創業のマーベリックである。同社の創業経営者である代表取締役社長の古川勝博は「企業内でITシステムが動くようになってせいぜい50年余り。しかしその間にIT環境は激変し、システムのパフォーマンスに関わるIT基盤の重要性がますます高まっている」と語る。
ハードウェアひとつとっても、オフコン、パソコン、タブレット、IoTと呼ばれる端末機器などがあり、種類の異なる複数の機器によってシステムが構成されるのが一般的である。またクラウドサービスを活用した業務システムを利用する企業も増えてきており、社内向けのクローズドな環境を前提につくられたシステムと、どこからでもアクセス可能なオープンな環境で構築されたシステムという、両極端なシステムが、同じ土台のもとで、安定的に稼働することが求められている。加えて、小さなシステムであっても、その構築のための投資コストは、企業にとって無視できない規模だ。つまり、生まれたばかりで、かつ開発資金が潤沢にある企業でもない限り、ひとつの開発環境のもとですべての企業システムが構築されることはない。言い換えれば、ほとんどの企業でIT基盤の重要性を意識する必要があるということだ。
2.腕に自信のある技術者 7人が創業メンバー
「アプリケーションやプログラムは目に見えない。開発されたアプリやプログラムが、既存の社内システムやネットワークに影響を与えることなく、トラブルなく運用できるかどうかは、専門の人でなければわからない」ということから、運用直前にトラブル発生ということも珍しくない。そんなとき、同社にトラブルシューティングの依頼が持ち込まれることも少なくないという。
IT基盤の構築やコンサルティングを行なう企業は多いが、実はマーベリックのようにIT基盤のトラブルシューティングに対応できるところはあまりないからだ。ITは日進月歩の世界。日々、20を超える新しい技術が生まれているとも言われている。そうした変化の激しい業界にあって時代に取り残されないために、技術者はどうしても新しい技術に目が行きがちだ。しかし、トラブルシューティングに対応するためには、そうした新しい技術もさることながら、古い技術や古いハードウェアに対する知識に加え、トラブル処理の経験やノウハウが必要になる。それだけのスキルをもつ人材は〝ITの匠〞といえ、IT業界を探してもなかなか見つからない。
マーベリックではなぜ、それが可能なのか。それには同社の成り立ちが大きく関わっている。創業メンバーは古川含め7人、古川が前職で執行役員として率いていたチームの仲間だ。以前に勤めていた会社は、大手商社のIT系子会社4社と、彼らが属していたその商社とIT系外資ほか1社との合弁会社の計5社が合併して生まれた。発足当初は、グループ外企業へ積極的に営業を仕掛けていく方針だったが、古川らの属した企業以外は、それまでグループ外でのビジネスの経験に乏しく、成果が上がらなかったため、ほどなく親会社は経営方針を180度転換、グループ内向けのITサービス事業に舵を切ることになった。古川が起業を思い立ったのはそのときだった。
3.IT技術でいつまでも 光り輝き続ける会社
「われわれの部門では現在のクラウドサービスの先駆けとなるビジネスを一早く手掛けており、成果も上がり始めていた。それに何より、自分たちの技術に自信を持っていた。親会社の方針転換は仕方のないことだが、先の見え始めたビジネスの芽がつぶされるのは納得がいかなかった」
しかしながら、新会社を本格スタートさせるまでには、少々時間を要した。執行役員である古川には競業避止業務契約があり、取締役会での承認を経なければ円満退職できなかったからだ。そのため07年9月に会社を設立していたが、実質的な事業開始は08年1月、前職の会社と問題を生じることもなく、創業メンバーの技術者としてのキャリアを活かせるIT基盤の整備・構築、それに関わるコンサルティングを主要事業として進めることになった。09年には前職時代に提供していた企業間データサービス(EDI)の提供も可能になった。このEDIは製造業が部品を受発注する際のデータ交換サービスで、いまこの仕組みがなくなってしまうと、最終製品がつくれなくなってしまうというほどの、モノづくりのインフラになっている。
同社では、IT基盤とEDIを二本柱に事業を展開し、創業以来、売上げ、経常利益ともに順調に拡大してきている。「当社が目指すのは、技術で光り輝く会社。SEの世界では35歳限界説などと言われるが、当社ではいくつになっても技術や経験を磨ける環境を提供し続けたい」そんな同社が現在抱える課題のひとつが、ITの匠たちが持つ技術や経験などのノウハウの継承だ。ものづくりの分野では、とくに伝統工芸の技術の伝承の難しさが言われているが、たかだか50数年しか経っていないITの世界でもすでに同じようなことが起こり始めているのだ。「50数年前と現在とでは技術のレベル、環境がまったく違う。しかし、われわれの事業分野では、最新技術も重要だが、古い技術を理解することも必要不可欠だ。IT初期から実体験として知るITの匠たちのワザを、1日でも早く伝えたい」
同社では、「奥深いIT分野の技術を磨きたい」という意欲ある人材の積極活用を進めている。