法政大学大学院 坂本 光司

Guest Profile

坂本 光司(さかもと・こうじ)

1947年静岡県生まれ。法政大学経営学部卒業。法政大学大学院政策創造研究科教授・同大学院イノベーションマネジメント研究科兼任教授。法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長。NPOオールしずおかベストコミュニティ理事長。著書に「日本でいちばん大切にしたい会社」「この会社はなぜモチベーションが高いのか」など。

特集経営の目的は業績ではない。社員の幸せにすることだ

1.6600社の企業を訪問してわかったことが山ほどある

 私は20~30代の経営者によく会うが、立派な人は多い。立派な経営者は皆、相手との関係性をWinWinにして、利他の心を持っている。

 私が提唱している経営学は人を幸せにするための活動である。ある日、飛行機の中で日本経済新聞を読んでいたら、有名な経営学者と日本の大企業の経営者との対談が載っていた。司会は経営学会で一定の評価を受けている方だった。司会が開口一番「企業の目的は永続的に業績を高めるための活動」と言って「そのためにあなたは何をやっていますか」と聞いている。

 それを読んで私は読むのをやめてしまった。この人、間違っていると思ったのだ。

 私はこれまで40年以上、6600社を訪問して企業の研究をしてきたが、その中でわかったことが山ほどある。一つが企業経営は企業に関わる人たちを幸せにする活動だということである。企業経営の目的は人を幸せにすることであると。上場する、業績を上げる、規模を大きくする、一番になる、シェアを高める、ライバル企業を打ち負かす、それらは目的ではない。結果としての現象にすぎない。

 業績を求めると、どういう事態になるのか。たとえば一日頑張って5~6社しか回れない営業マンに対して「お天道様が高いうちは帰ってくるな。最低でも10社回れ」と指示する。気の弱い営業マンはうつになるし、下手したら自殺をしてしまうかもしれない。

 これは社員を幸せ軸でなく、効果・効率軸で見ているからである。

 業績を高めるには売上高を上げるか費用を下げるしかない。それを目的にすると社員を虫けらのように扱うことになるのだ。

 経営者は自分が社員だったらどうしてほしいか、どういうことを言ってほしいかと考えなければならない。経営者も、過去に所属する組織で嫌なことがあったと思う。 
 私もこの歳になるまでいろいろあった。いろいろなことで圧を受けてきた。大学では嫌な思いをしている人を助け、若い人のために何回辞表を出したかわからない。ある組織で私は課長になったときに、自分が部下のときにやってほしかったこと、言ってほしかったことを言ってあげて、自分が嫌な思いをしたことは決してやるまいと心に誓った。自分がやってほしいことをやってあげようと。

2.会社にかかわりのある5人の幸せを追求するのが経営

 経営とは、会社にかかわりのある5人の幸せを追求することである。

 5人の一番目は社員とその家族である。企業経営の第一目的は縁があってわが社にはせ参じてくれ、幸せを求めている社員とその家族を幸せにすることだ。その人々をリストラしてはいけない。路頭に迷わせてはいけない。  二番目は社外社員だ。外注工場、仕入先の社員とその家族である。三番目は現在顧客と未来顧客。お客様の幸せである。四番目が地域住民である。地域住民とは我々ではなくて弱き人々、助けを求めている人々を指す。障害者や高齢者やシングルマザーなどの幸せである。最後の五番目は株主の幸せである。

 この5人は並列ではなく順番である。5人目の優先順位は一番劣り、設定しなくてもよいのだが、そうすると経営学そのものが存在しなくなってしまうから、ついでに入れたにすぎない。なぜなら、株主が幸せと感じるのは企業の業績と配当によってである。しかし配当は経営の目的でなく結果現象だ。

 この5人が経営者に与えたものが業績である。業績はご褒美、通信簿である。業績が赤字ということは5人が経営に反対しているからだ。

「あんな会社に利益を取らせてなるものか」と言っているようなものである。

 昨今は企業の成長と衰退が両極の世の中になってきた。そのなかで立派な業績を上げている企業の違いは、戦略でなく目的にある。目的の違いである。戦略格差とか、戦術格差とか、中長期ビジョンとか、経営計画とか、その良し悪しで結果が出ると言われているが、私が企業の診断を通じて感じることは戦略格差ではなく目的格差だ。

 何のために経営をやるかが不純な経営者が多い。一番になるとか、有名になるとか、億万長者になるとか、誰かを見返してやるとか。私に言わせれば不純である。経営の目的とは何を通じて世のため人のために貢献するか、何を通じて人々を幸せにするかにある。自動車なのか、電気製品なのか、農産品を通じてなのか。事業によっていろいろあるだろう。

3.相談に来た経営者には「その事業を何のためにやるのですか」と尋ねる

 何のためにと目的に触れたが、経営者は上場を目的にしてはいけない。上場は結果としての現象である。一番も、二番も、それは目的でなく結果としての現象だ。一番になった結果として社内にうつの人が出たり、自殺者が出たり、利益が欲しいために下請けさんを犠牲にしていたら、どうなるか。

 たとえば嫌なことをされた下請けさんは「こんちくしょう!」と思うだろう。いまに見ていろと思って、その会社に対してニコニコしながら異なる作戦を考えるものだ。力のあるところは逆選別を考えている。脱下請けとか、自分の商品を持つとか、1社への依存度を下げるとか。下手をすると発注元は捨てられてしまう。

 私は、国内の工場を縮小したり閉めたりして海外に工場をつくる企業に「目的は何ですか」とよく聞く。国内の雇用を縮小して海外の雇用を増やして、株主の満足を高めるためなのかと。そんなことをして社員が幸せになるのかと。
 
 国内の雇用を維持拡大した上で、国内では海外の方々のかゆいところに手が届くサービスや商品供給ができないのなら、世界の人々の幸せのために行くべきだ。しかし、国内の工場で路頭に迷う人を出して、不幸のどん底に叩き込んで海外に行くことは、どう見ても人のための経営ではない。おのれのため、あるいは株主のためにすぎない。そんな会社は間違いなく滅びる。そんな会社の商品は買われなくなるからだ。

 私の研究室には、いろいろな若い経営者が相談に来る。

「その事業を何のためにやるのですか」と尋ねると、こんな答えが返ってくる。供給が不足しているからとか、製品を安く製造できるからとか、この仕事が儲かりそうとか、これが流行になっているからとか。

 私は「基本的に全部止めなさい」と話している。さらに「私は相談者にふさわしくないから別な人に相談しなさい。動機が不純だ」と。

 世のため人のためにならない事業、欺瞞の中で成立する事業は長続きしない。誰かの犠牲の上に成り立つような、うそに塗られたような経営は長持ちしない。正しいことをしなさいと彼らに話している。

4.経営指標で大切なのは利益率ではなく自己資本比率

 私は経営計画を作るお手伝いも頻繁に行なっている。私の経営計画は売上高の案ではない。売上高は最後の項目だ。社員数をどうするか、社員の福利厚生をどうするか、社員の人件費をどうするかを優先順位に経営計画を作ってあげている。

 社員の人件費については、製造業の場合は付加価値分配率3分の1ぐらいが理想なので、人件費の3倍の付加価値を稼いでおく。もし付加価値率を10年後に50%にするなら、それに基いて売上高を立てる。最初に売上高がこれだけほしいという計画ではなく、社員の生活をどうするかを最初に定めるのである。

 経営指標で大切なのは利益率ではなく自己資本比率である。私はこれを最も重視している。ベンチャー企業は自己資本比率に対する思いが少なく、どこも自己資本比率が低い。財務内容が健全でない会社は自己資本比率が30%以下だ。

 だが、自己資本比率が30%以下では不安である。仕事量が2~3割減っていく時代になったからだ。これに対して、自己資本比率50%なら実質的に無借金である。仕事が2〜3割減っても社員の生活と命を守ることができる。

 だから、自己資本比率を悪化させるような投資はするな、経営計画を作るなと私は教えている。経営計画の軸足は社員とその家族の幸せである。しかし、株主を喜ばせるだけなら自己資本比率は関係ない。非正規社員を山ほど使えばいいし、社員も何らかの理由をつけてバッサバッサと切ればいい。当然、そんな会社で安定的に成長した歴史はないが。

5.社員に「感謝しているよ」と言われたら、もっと頑張るだろう

 人事はどうあるべきだろうか。
 ベンチャー企業の経営者は年功序列に否定的で、成果主義を取り入れている。だが、私は年功序列が正しいと考えている。

 私自身は成果主義のような生き方をしてきたが、成果主義を望んだことは一度もない。それは、私が何もできないときにアドバイスしてくれたり、私の給料を稼いでくれたりする人がいたからだ。現実に、大学を出てすぐにまともな給料をもらえる仕事などは誰もしていないはずだ。上司や先輩に助けてもらっているはずである。

 もし私がある会社に勤めていて抜群の成績を上げていたとしよう。廊下かトイレで社長か部長に会ったとき、声をかけられたとする。

「頑張ってくれてありがとう。よく頑張っているな。うちは和を以って尊しとなす家族的経営だから、給料で大した差はつけられないけど、君の頑張っている姿を私は忘れないよ。皆きっと君の行動に感謝しているよ」

 そう言われたら、私はもっと頑張ろうと思うだろう。私に限らず、皆そうではないのか。

 一方で「私は人の3倍働いているのだから、3倍とは言わないけど、何十万円か多くほしい」と望む社員がいたら、その社員には利他の心がなく、金のために生きているにすぎない。

 伊那食品工業や未来工業など立派な会社は年功序列をベースにしている。立派な会社では、さじ加減で給料に差をつけるところがほとんどで、差をつけない会社もある。社員を家族としてみるような、ぬくもりを大切にすべきである。

 人は誰でも調子の良いときもあれば、悪いときもある。皆で会社のパイを増やし、皆でお客さんを喜ばせる。そういう価値ある商品やサービスを創造し、皆が幸せになれればいいのである。

6.社員を大切にしているか否かの物差しを20くらい持っている

 人を幸せにする気持ちについて、私はよく経営者に語りかける。
「もし、あなたが逆の立場だったら、社員を虫けらや材料のように扱う会社に就職しますか」「あなたが学生だったころ、あなたが一社員で苦しんだ頃を思い出してほしい」「あなたにも家族があるでしょう。あなたが残って罪のない社員をリストラする、そんな会社に愛着を持ちますか」

 もしリストラせざるをえない事態になったら、リストラの代わりに全員の給料を下げて、当たり前のことだが、経営者は1年間給料を受け取らない。喜びも悲しみも苦しみも、ともに分かち合う。そういう経営を若い経営者にしてもらいたい。

 私は社員を大切にしているか否かの物差しを20ぐらい持っている。そのなかで定着率は重要な物差しの一つだ。離職率が年間平均10%以上の会社は内部崩壊が始まっている。私が本の中で書いている会社はほとんど2~3%で実質ゼロである。

 浪花節に聞こえるかもしれないが、私が6600社を見てきたなかで、ぬくもりのある経営、人本経営を実践する会社は伸びている。効果・効率を目的にしている会社はダッチロールもいいところで、多くが潰れている。これは理論でも理想でもない。現実である。

7.なぜ多くの経営者が自分が新入社員のころを思い出さないのか

 若い経営者には一番大切なことをきちんと実行してほしいと思う。

 だから上場を目的にしてほしくないのだが、上場を悪いと主張しているのではない。上場したほうが社員とその家族、下請けさんとその家族、現在顧客と未来顧客、地域住民が幸せになるのなら、上場したほうがいいのではないか。私は経営者にそう話している。

 しかし多くの経営者が、上場すると有名になるとか、人材確保に役に立つとか、お金が集まってくるとか、そんな軸で判断しているのが現状だ。効率とか効果ではなく、関係者の皆が上場を望んでいるかどうか。幸せ軸で上場するかどうかを決断すべきである。

 ただ、上場すると、どうしても株主と市場に動かされてしまう。そのときに信念をもって戦えるかどうか。

 ツムラの芳井順一社長(今年6月より会長)は、株主第一主義の経営から社員第一主義の経営に切り替えた。その結果、社員は自分たちの幸せを念じて経営をやっていると感動して、頑張って業績が上がった。業績が上がれば株価が上がる。株主は芳井社長の経営を評価せざるをえないだろう。

 会社は会社に関わる皆のものである。赤字を出すことは株主を幸せにしていないのだから社会悪だ。会社は立派な業績を上げるべきである。そのためには社員のモチベーションを高めるべきで、モチベーションを高めるには社員を愛すること。これは簡単なことである。

 なぜ多くの経営者は自分が子どものころ、新入社員のころを思い出さないのだろうか。自分が逆の立場だったら、と考えないのだろうか。

 私が30代で何もできないときに本を出してくれた出版社への義理や恩を、私は決して忘れたことはない。恩返しをしなければいけないと思っている。恩を忘れたら教師を辞めようとも。だから現場を回っているのである。

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