Guest Profile
安田隆夫(やすだ・たかお)
1949年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。80年、資本金300万円で株式会社ジャスト(現ドン・キホーテ)設立。89年「ドン・キホーテ」1号店をオープン。96年株式店頭公開。98年東証二部上場。2000年東証一部に指定替え。売上高5402億55百万円、経常利益292億83百万円(2012年6月期)
特集部下への権限委譲が社長の自己表現への王道だ!
1.自力で集めた資金だから必死の力、必死の心が働く
2.中小企業にとどまるか、大企業になれるかの分岐点
3.現場の応援団に徹してこそ1ランク上の経営者になれる
4.経常利益3億円が継続した時期こそ権限を委譲するタイミングだ
1.自力で集めた資金だから必死の力、必死の心が働く
私はいろいろなベンチャー企業を見てきたが、自分が目利きだとは思っていない。自分のフィールドとしている事業については、自分の経営判断でリスクとリターンをとって一定の成功を収めているが、他社の事業に対して目利きになる自信はまったくない。
過去に若い経営者の企業に出資したこともあるが、その多くが満足のいく結果をもたらしてはいない。それはなぜか? と考えると、そこに経営者の覚悟が見えてくる。
たとえば出資を依頼される場合、2種類のパターンがある。一つは、極めて初期の段階で「こういう事業計画があって、こうしたい。だから出資をしていただけませんか」という依頼だ。もう一つは、事業がある程度できていて「さらなる成長をするために、こんな経営をしたい」という動機による依頼である。
依頼のほとんどは前者のケースで、特にITバブルの頃は多かった。だが私は、事業計画だけで、あるいは計画に等しい実績だけで出資してもらおうという動機に相当な違和感を覚える。
最初の手金は自力で集めることが、実業家になるための一次試験だと思う。自力で集め、爪に火をともすように貯めた金を根こそぎ使うからこそ、無い知恵が働き、必死の力と必死の心が働くのだ。
そういう経営者が一定の段階まで進んだとき、第二次ステップに進むために出資してほしいという依頼ならわかる。これに対して、事務所を用意して、社員を数名雇った程度で出資を依頼することは、依頼すること自体が間違いだと思う。現実に、そういう企業のほとんどが破綻した。
しかも、次のステップに進もうとする企業にも、疑問に思うケースが少なくない。次に進むには安定した利益を継続的に出していることが要件になるが、利益がギリギリの水準なのだ。年間数千万円程度の経常利益では、安定した利益とはいえない。
私の経験を申し上げれば、当社は上場するまで第三者から出資を受けたことは一度もない。
2.中小企業にとどまるか、大企業になれるかの分岐点
伸びる経営者を見極めることは難しいと思うが、ダメになっていく経営者なら、私はすぐわかる。その特徴は3つだ。
第一に見栄っ張りであり、小さな成功で、小さな虚栄心を満足させようとすること。高級車を乗り回したり、分不相応な遊興に走ったりする金銭的な見栄。ミーハーな人間関係に浮わつく人脈の見栄。一概には言えないが、こういう見栄を張る経営者は、だいたいダメになっていく。
経営者はもっと地道に、篤農家のように自らのフィールドを耕し、良い作物を作るために、すごく丹念な作業をしなければいけない。ぜいたくな暮らしや、ミーハーな人間関係は、そもそも論として違うと思う。
第二の特徴は、ちょっと地位を築くと、働く時間が少なくなること。創業期に近い経営者は、一般社員の2倍の時間と4倍の密度で働くのが当たり前ではないのか。誰でも最初はそうするのだが、ある程度成功して毎月一定の報酬を得られるようになると、働かなくなるのだ。こうした経営者は結構多い。
そして第三の特徴だが、実はこれが一番大きなウエイトを占める。第一と第二に問題がなくても、第三をクリアできずにダメになっていく経営者が多いのだ。
第三の特徴とは、権限を委譲できないことである。
企業には、中小企業から大企業に発展する企業と、中小企業にとどまってしまう企業の2種類がある。中小企業では経営者自らが社内で最も強力な人材で、いわば収益の根源でもある。経営者は企業を体現している存在なのだ。
ところが大企業になると、経営者がどんなスーパーマンでも、一人では企業が成り立たない。収益の根源だった経営者が自らの存在を無力化して、社員に権限を委譲していかなければならない。
単なる中小企業のオヤジなら、自分が一番できると威張っていてもよい。だが、大企業になろうと思うのなら、一般社員にもできるように仕事を単純化して、なおかつ落とし込む必要がある。そのときには、自分自身の能力をあえて無力化させるために、自分の権限を自ら剥奪しなければならないのだ。経営者は権力者ではない。
3.現場の応援団に徹してこそ1ランク上の経営者になれる
ところが、わかっていても、これができないのだ。そもそも、「オレが、オレが」でやってきた我の強い人が経営者になっているものだが、権限委譲は、その我を出すなという作業である。自分の価値をおとしめ、社内での地位を低下させることにもなりかねないと、思ってしまうからである。
中小企業として成功すればするほど、この切り替えができなくなる。だから多くの企業が、中小企業から大企業に進めないのだ。
私も29歳で創業して46歳で上場したが、それまでは権限委譲が十分ではなかった。だが上場したときに、当社は社会的な存在になったのだから、「オレが、オレが」ではなくて現場の人たちを立てることに専念しよう、皆の応援団になろうと切り替えたのである。
当時の私は、社内の誰よりも商品知識を持っていたし、誰よりも販売が上手だった。社員に対しては「お前たちはオレとレベルが違うのだから、早くオレの域に追いついてこいよ」という話ばかりしていた。しかし、これでは、いつまで経っても差など埋まるはずはなく、経営者としてもレベルが低い。みなの応援団に徹することができたら、自分を誇示していたときの私よりも、少しはレベルが上がると考えた。
そこで、ある日突然「お前たち、頼むよ。口は出さない」と切り替えた。信頼とは、文字どおり信じて頼むことである。信じて「お前たち、頼むよ」と申し渡したのだ。私の心の中で葛藤はあったが、そうしないと絶対に会社は発展しないと腹の中で理解したのだった。
4.経常利益3億円が継続した時期こそ権限を委譲するタイミングだ
権限の委譲は一定の期間を与えて行なうのだが、委譲した権限については必ず評価が必要である。権限委譲と評価は両輪の輪だ。
ただし、権限を委譲した以上はプロセスコントロールをしてはいけない。プロセスコントロールの放棄なくして、権限委譲は成立しないのだ。仕事の仕方は人によっていろいろあるが、結果を出せばよいのだから、途中で口出しをしないことだ。それで多様性を担保できるのだから、企業としてもプラスである。
この切り替えのタイミングは、経常利益3億円以上が継続的に出るようになった時期がよい。月間で2500万円以上の経常利益がコンスタントに出るようになったら、早々に権限を委譲すべきだ。
私は子会社の社長にいわゆる帝王学は教えていない。彼らに求めているのは、目の前の部下を明るく生き生きとさせることである。各社の社長には数百人の部下がいるが、上司は私一人だ。私にとってよい部下であるよりも、部下にとってよい上司であることのほうが、はるかに重要なのである。私への報告や受け答えが上手でも、結果が伴わなければ話にならない。従って私は、人物評価では部下からの評価を非常に重視している。
当社グループで、部下を生き生きとさせられる社長の条件は、信頼を大事にして、適切なポジションに適切な人材を配置する勇気をもつこと。それからネガティブな人事を即時に行なえること。降格させるべき社員を「可哀相だ」と思って速やかに降格させずに放置したら、もっと可哀相だ。その部下には「お前と約束した数字と違うよな。私も辛いけど、うちは半期年俸制だから半年間は給料が下がる。必ずリベンジしてくれると期待しているから、来期は頼むよ」と誠意を込めて話すことである。
社長の十歩よりも部下の一歩のほうが大きい。自ら権限を剥奪して部下に委譲することは、一時的には自己否定だが、実は高レベルの自己実現につながるのだ