――市長に就任されて以降、舞鶴引揚記念館の運営にどのような方針を定めたのでしょうか。
多々見 私が舞鶴市長に就任したのは2011年2月です。翌3月に「舞鶴引揚記念館あり方検討委員会」(委員長・杏林大名誉教授田久保忠衛氏)から答申をいただきました。それまでの指定管理施設から市の直営施設に変更すべきであるという内容でしたが、私も同じ考えでした。


 記念館は、引揚者と関係者の方々の「引揚体験を史実として伝えてほしい」という熱い思いによる7400万円の寄付と資料の寄贈を得て、1988年に開館しました。ピーク時には年間20万人が来館しましたが、最近では10万人を切るまでになりました。その状況を打破するには市の直営にし、学芸員を配置して展示の質を高めることが引揚者の方々との約束を果たすために必要だと、私は強く思うようになったのです。

 

 

館長からの直訴で世界記憶遺産への登録申請を決意

――直営になってから、記念館で所蔵する資料を世界記憶遺産に申請しようという案が持ち上がったのですか。
多々見 館長が代わり、市役所の職員が就任しました。就任して2カ月後、館長が「市長、世界記憶遺産に挑戦させてください」と申し出てきました。市役所内には時期尚早という意見もありましたが、彼女は直訴したのです(笑)。私は「やりましょう!ぜひ進めてください」と回答しました。

 

――その時の正直な気持ちはいかがでした? 登録が実現できると思われましたか?
多々見 登録されるか以前に、申請にどんなハードルがあるかも分かりませんでした。そこで館長に「所蔵する資料が世界記憶遺産への申請に値するかどうか専門家に当たってほしい」と指示したところ、「値する」との評価を得たので、12年7月に申請を表明しました。

 

――傍から見ると、申請すればほぼ通るのではないかというイメージもあったのですが・・・。
多々見 国内選考を経てユネスコに審査が移ると、これまでの傾向から3割が却下されています。私は「通ると思いますか?」と聞かれた時には「通ると思います」と答えていましたが、それには根拠があります。ユネスコから細かい事項3~4点の問い合わせが入ったのですが、外国人には、通すつもりがなければ誉めるだけで、質問してこないという傾向があります。私はかつて海外の専門誌に医学論文を提出した時に、このことを経験していましたから、申請は通るという感触を持っていたのです。

 

 

記念館の運営費は寄付や市のふるさと納税の活用も

――世界記憶遺産への登録が決定した時期は、舞鶴市にとってどんなタイミングでしたか。
多々見 今年(15年)1月から記念館のリニューアル工事を進めていて、その間は舞鶴赤れんがパーク内で特別展示を行なっていました。リニューアルオープンは9月から10月の予定だったので、その前に決まったら、いわば仮住まいの中での展示を見ていただくことになり、申し訳ないと思っていましたが、決定は10月10日でした。ノーベル賞発表の時期でしたが、日本人受賞者の発表の日と重ならず、引揚資料の登録に注目が集まりました。まさに引揚者の思いが乗り移って、日程が調整されたのだと実感しました。
 しかも、10月10日は舞鶴市主催の「戦後70年・海外引揚70周年記念 平和祈念式典」の開催日で、当日の朝に登録が決定したことは、まるで運命のようでした。

 

――登録を舞鶴市の運営にどう活かしていく考えでしょうか。
多々見 これまで記念館の運営費は寄付や市の予算で賄い、国の支援はありません。今後はふるさと納税を活用して、その使途を歴史継承事業に特化する考えです。引揚者や家族にとって舞鶴は、新しい人生を歩み出した第二のふるさとであり、まさに“戦後復興のふるさと”なので、納税をお願いしていきたい。企業版ふるさと納税が法制化されたら、これも呼びかける方針です。
 また、教育旅行の誘致を進めるとともに、子どもたちの教育にも力を注いでいきます。今年(15年)8月には「舞鶴市教育振興大綱」を策定し、0歳から15歳まで切れ目のない教育を実施する構想を固めています。「自立」と「自律」、優しさ、感謝の気持ちを身につけ、15歳になったら夢に向かって将来を切り拓ける人間になってほしい。さらに地元に誇りを持てるような教育も実施します。舞鶴市は雇用情勢が良好なので、地元に誇りが持てれば、若者がここで暮らし続けることを期待できます。私は、地方創生は企業誘致も重要ですが、教育こそ基本であると思っています。

 

――舞鶴市への来訪者数はどのぐらいを見込んでいますか。
多々見 舞鶴港のインフラ整備が進み、クルーズ客船の寄港が14年には過去最高の15回となり、来年(16年)の岸壁予約はすでに20回を超えています。さらに8月からは韓国、ロシア、舞鶴を結ぶ定期フェリーが週1便の準備運航を開始しています。舞鶴市の人口は約8万5000人ですが、交流人口300万人を目標にしています。

 

――貴重なお話をありがとうございました。

 

 

*『CEO社長情報』vol.22掲載

 

|プロフィール

多々見 良三(たたみ・りょうぞう)

1950年8月生まれ。76年3月金沢大学医学部卒業。80年3月、金沢大学大学院医学研究科 博士課程卒業、金沢大学博士号 医博甲第549号修得。同年4月金沢大学医学部第二内科医員。舞鶴共済病院にて循環器科部長、診療部長、副院長を経て、2005年10月同病院長に就任。11年2月、舞鶴市長に当選。15年2月再選を果たす。