慶應義塾大学 渡辺 賢治

Guest Profile

渡辺 賢治(わたなべ・けんじ)

1984年慶応義塾大学医学部卒業。スタンフォード大学遺伝学教室、北里研究所、慶応義塾大学東洋医学講座准教授などを経て、2013年より同大学環境情報学部並びに大学院政策・メディア研究科教授(医学部兼担教授)。

特集縦割り行政には期待はしない。民の力による化学反応で漢方の産業化を促進する 

1.漢方をツールとして日本を持続可能な国にすること

一般社団法人漢方産業化推進研究会の代表理事として漢方の産業化を提唱した渡辺賢治氏は、 慶応義塾大学病院漢方センターで臨床医としても活動する。一方で、神奈川県顧問や奈良県顧問として両県の漢方振興策をサポート。 漢方の産業化について渡辺氏に聞いた。

――漢方の産業化に着目した意図は何でしょうか。

 漢方をツールとして日本を持続可能な国にすることです。たとえば医療費の抑制には病気にならない〝未病対策〟が必要です。あるいは、耕作放棄地や荒れた森林が増えると生態系が破壊され、河川が汚れて近海漁業の漁獲量減少などの影響を及ぼします。これらの問題を解決するツールが漢方であり、漢方を普及させるには、参入する事業者を増やして産業化する必要があると考えました。

――耕作放棄地の活用は、藻谷浩介(日本総合研究所調査部主任研究員)さんが提唱している里山資本主義と同じような着想ですね。

 私は藻谷さんの里山資本主義には賛同していて、大学の授業でもよく取り上げています。耕作放棄地の場合、高齢者にそこで薬草を栽培してもらえば、生薬産業の育成や働くことによる健康維持、耕作放棄地の減少などにメリットが生まれます。

 かりに病院や介護施設が薬草栽培に取り組んで、患者さんや利用者さんが作業を行なえばリハビリテーションにもなります。作業の報酬を得ることもできるでしょう。

――産業化に際しては、複数にまたがる関係省庁の調整がハードルになりませんか。

 これまでも漢方の普及に向けて政府にはさんざんお願いしてきました。しかし、薬草栽培は農林水産省、医薬品への使用許認可は厚生労働省、産業の育成は経済産業省、薬草に関する生物多様性条約は環境省というように縦割り行政が障害になって、話が進まなかったのです。そこで各省庁と折衝するよりも民間で動いたほうが早いと判断して、漢方産業化推進研究会を発足させました。

――産業化の推進で川上から川下までを結ぶバリューチェーンの構築を明らかにしていますが、どんな仕掛けで進めるのですか。

 漢方産業化推進研究会が主導してバリューチェーンを構築するようなシナリオは描いていません。研究会の会員企業同士で接点を見出だし合ってチェーンを構築していくことになるでしょう。研究会が主導するよりも会員同士に委ねたほうが、いろいろな化学反応が起きて産業化にプラスと考えています。

――漢方関連商品を育成するにはエビデンスの有無が問われると思います。エビデンス取得のあり方に問題はないのでしょうか。

 ハワイ移住の日系人に大腸がん罹患者が多いことは、移住して数十年後に判明しました。長年の生活習慣に因果関係があったのです。未病対策の健康食品などの効果も、摂取してすぐに効果が判明することはないでしょう。この現実を踏まえて、関連事業者は対象とする製品の摂取期間などについて、これまでと違うエビデンス取得の手法を開発する必要があると思います。

――新産業の創出には既存事業者の底上げや大手企業の参入だけでなく、ベンチャー企業の台頭が欠かせません。漢方ではいかがでしょうか。

 すでに漢方の知恵を使ったアプリ開発や植物工場などでベンチャー企業の芽は出始めています。他業界からベンチャー企業が漢方事業に新規参入して、続々と化学反応が起こり始めています。いろいろなアプローチがあるなかで、この分野で伸びていくのは確かな技術を持っている企業でしょう。植物工場ではLED技術なども薬草栽培に関わりますが、あくまで栽培の手段にすぎません。

――日本での薬草栽培について、中国と地質が違うので中国産と同品質の薬草栽培は難しいとの意見があります。

 日本は国土が南北に長く、しかも高低差があって、生物多様性が豊かです。こうした特性から日本は漢方の利用国でもありますが、実は漢方薬草の資源国でもあるのです。現に奈良県宇陀市の森野旧薬園では、1700年代前半から約250種類の薬草が栽培されている。日本で開発されている栽培技術を駆使すれば、あらゆる薬草を高品質で栽培できます。

――健康食品に向けた薬草産業を育成するには食薬区分の見直しが必要と指摘していますが、何が問題なのですか。

 2百数十種類の薬草が食薬区分に登録されていますが、医薬品リストにも非医薬品リストにも区分されてないブランクの薬草部位が多いのです。その区分と、食薬区分がブランクの薬草部位で安全と思われるものに関して、食品への積極的な使用許可を検討する必要があります。

――研究会では薬草を使用した健康食品と化粧品で8兆6000億円産業に育てる構想を掲げました。算出根拠を教えてください。

 この数字は夢でもあります。トレーサビリティーのしっかりしたメイドインジャパンの漢方薬は日本よりも海外での評価が高く、慶応大学医学部に留学してくる欧米のトップクラスの医師や医学生たちも、高い関心を示しています。しかも、中国の富裕層は日本製の漢方薬を好んで服用しています。

 神戸市のアステリズム・ヘルスケア・プラス社はインドとインドネシアの富裕層向けに日本の漢方薬や健康食品を輸出していますが、東南アジアの富裕層に大きな需要が見込めるのではないでしょうか。こうした現状を踏まえて、輸出額を含めて8兆6000円という数字を試算しました。

――渡辺先生は漢方産業化推進研究会の会員企業に向かって「目先の利益に期待しないでほしい」と呼びかけました。意図は何でしょうか。

 日本を持続可能な社会に転換させることが一番の趣旨だからです。持続可能な社会になれば、多くのビジネスチャンスも生まれます。たとえば未病対策の必要性から、日本は健康食品やサプリメントを賢く活用する社会になっていきます。

 さらに、この呼びかけには、民間企業も医療従事者と同じ目線で事業に取り組んでほしいという思いもあります。われわれ医師はお金が欲しくて医療に従事しているのではありません。患者さんに健康を回復してもらうことに対して、使命感をもって取り組んでいるのです。民間企業も目先の儲けに走らずに、高い志をもって良質な商品やサービスを供給すれば、必ず利益は後からついてきます。

――ありがとうございました。

TO PAGE TOP