株式会社UHM 木下 彩

Guest Profile

木下彩(きのした・あや)

祖父が旅館(森田館)を開業、父の代にはビジネスホテルチェーンを経営する近山家の長女として生まれ育つ。82年に上智大学外国語学部英語学科を卒業後、株式会社ホテルニューオータニに入社。86年同社を退社。94年株式会社東京グリーンホテル(現株式会社UHM)に入社、取締役に就任。95年代表取締役に就任。11年4月より、庭のホテル東京の総支配人を兼務。13年3月、日本ホテル産業教育者グループ選考の第9回「ホテリエ・オブ・ザ・イヤー2012」を受賞。

特集日本人にも外国人にもくつろげる”和”の空間は利用客のクチコミ効果で集客アップを実現

1.父から娘へ受け継がれた冷静に時代を読む眼力

 山手線内のちょうど真ん中あたりに位置する水道橋にホテル通の心をつかんで離さないホテルがある。株式会社UHMが運営する「庭のホテル 東京」だ。飽和状態と言われる東京にあって、開業した2009年から4年連続で「ミシュランガイド東京・横浜・湘南」のホテル部門で、「快適なホテル」として2パビリオン(快適なホテル)の評価を獲得している。
 ホテル・旅行のクチコミサイト「Trip Advisor」ではTRAVELER'S CHOICE 2013を受賞し、国内第10位の評価を受けているほどだ。
この「庭のホテル 東京」の総支配人であり、UHM代表取締役を務めるのが木下彩さんだ。
 木下さんの祖父が1930年代に水道橋と神田淡路町に旅館を建て、父が70年代にその旅館をビジネスホテルに変貌させた。しかしビジネスホテルを軌道に乗せてしばらくのちに父は早逝、その後は母が3つのビジネスホテルと受託運営施設の経営を担ってきた。
 木下さんは大学を卒業後、大手ホテルに就職する。
「継ごうと思って就職先を決めたわけではないんです。兄が2人いたし、誰かがやるでしょうという感じで、まさか自分がやることになるとは思いもしませんでした」
 しかし約20年にわたってホテルの経営を取り仕切っていた母が60代で亡くなり、まだ幼い2人の子供を抱えた30代の木下さんが引き継ぐことになった。
「こんなに早く母が亡くなるとは思ってもみませんでした。引き継いだのはバブルがはじけたあとの厳しい時期でしたが、どのホテルも交通の便が良く、立地に恵まれていたのが幸いでした」
 ただ、その後の十数年の間にホテル業界を取り巻く環境が劇的な変化を遂げる。
 ビジネスホテルの低価格競争。全国展開する大手チェーンならではのスケールメリットを生かしたポイント制度や値引きサービスには、数店舗を経営しているホテルではとても太刀打ちできない。
 めまぐるしい設備投資も負担になってくる。インターネットなどのビジネス設備を整備していかなければ顧客離れを起こす。
「建物も老朽化していたし、従来と違うことをやって新しいお客様を開拓しようと、他にはないホテルを作ろうと考えました」
 リピーターもたくさんいた東京グリーンホテル水道橋をいったん閉館して、価格競争が激しいなかで、料金が以前より高めのホテルに建て替えるとは、さぞや勇気がいることだろう。
「大きな決断でしたが、私はのんきなほうなので(笑)、あまり難しくは考えなかったのです」
 思えば木下さんの父が旅館からビジネスホテルへ鞍替えしたのが70年代前半のこと。高度経済成長の真っ只中、東京へのビジネスマンの出張の増加とライフスタイルの変化を読みビジネスホテルへと業態を変えた。この冷静に時代を読む眼力は木下さんにもしっかり受け継がれたということだろう。

2.落ち着ける和がすみずみにまで行き届く庭のホテル 東京

「美しいモダンな和」のホテルというコンセプトはいつ生まれたのだろう。
「『和』と自分が心地良い空間を作りたい、それは最初からありました。子供のころまでは、この水道橋にあった森田館の敷地内に住んでいましたから、自然と『和』に囲まれていたんですね。もともと武家屋敷のあった歴史のある土地なので、その影響もありますね」
 こうした思いを社内会議やコンサルタント、業界内外の方々と詰めていくうちに「美しいモダンな和」というコンセプトに行きついたという。
 この「美しいモダンな和」は、外資系のホテルにありがちな海外から逆輸入した「和」ではない、日本人も外国人も本当に落ち着ける「和」がホテルのすみずみにまで行き届いている。
 エントランスや中庭には庭のホテルとの言葉通り、四季折々に花や実をつけるさまざまな樹木が植えられ、ロビーに足を踏み入れれば大きな行燈のような照明が優しい光をたたえている。随所にさりげない和のオブジェが出迎える。
 客室ではカーテンではなく、障子を使い、ベッドのヘッドボードも和紙で柔らかな雰囲気を醸し出す。机とベッドの間には小さな格子をつけ、ささやかながら仕事の場と睡眠場所を切り分ける工夫を施している。コンセントや電気コードを見えないように配置したり、机の角に丸みをもたせたり、徹底的に気を配る。
 しつらえだけではない。客が疲れを癒せるような大きめのバスタブや寝心地の良い特注のマットレスなどホテルとしての基本も充実している。緑の見えるラウンジには無料のマッサージチェアやトレーニング機器も用意するなど、長期滞在客の満足度を高める工夫もちりばめた。
 設備だけではなく、英語力アップを推奨するなど接客スタッフの意識改革も推し進めた。

3.ミシュランガイドにも掲載利用客の半数は海外からの旅行客

 こうして2009年5月、庭のホテル 東京はオープンする。折しもリーマン・ショックの8カ月後、環境としてはかなりの悪条件下での開業だった。当初は稼働率が50%程度だったが、木下さんの「本当に自分の泊まりたいホテルを作ったのだから認めてもらえる」という自信は揺るがなかった。
 その予想通り、和風旅館のくつろぎ、ビジネスホテルの利便性、高級ホテルのおもてなしを兼ね備えた庭のホテル 東京は、ホテル通の間でたちまちのうちに評判となり、オープンからわずか半年後に「ミシュランガイド東京・横浜・湘南」に掲載されることとなり、稼働率も上がっていった。
 集客アップにネット上のクチコミ効果が大きく貢献しているのがこのホテルの特徴だ。現在、海外からの利用客が半数近くを占めるが、海外向けに広告訴求はしていない。大半は、利用客の生の声が書かれたクチコミサイトを読んでという客が多いというのだ。
 木下さんのきめ細かいこだわりをクチコミサイトで見た旅行者たちがぜひ自分も見てみたい、体験してみたいと訪れるのだろう。実際に利用した客の声ほど宣伝効果の大きいものはないのだ。
 また新しいホテルを作る予定は?
「いまはまだ、拡大するよりも、サービスなど内側を充実させる時期だと考えています」と木下さんは微笑む。しかし、これだけのホテルを生み出した木下さんのことだ。チャンス到来と見るや、また新しいホテルを生み出して業界を驚かせるに違いない。

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