ブリキのおもちゃ博物館 北原照久

Guest Profile

北原照久(きたはら・てるひさ)

1948年東京生まれ。ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として世界的に知られている。大学時代にスキー留学したヨーロッパで、ものを大切にする人たちの文化に触れ、古い時計や生活骨董、ポスター、おもちゃ等の収集を始める。86年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。現在、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として、また、ラジオ、CM、各地での講演会等でも活躍中。「夢の実現 ツキの10ヵ条」など著書も多数出版している。

特集周囲の反対よりも強かった自らのエネルギーで成し遂げた「前例のない挑戦」

1.1500万円の借金をして人脈もノウハウもないところからスタートしたおもちゃ博物館

  『開運!なんでも鑑定団』でおもちゃ鑑定士として活躍している北原さんを知らない人はいない。三浦半島の佐島にある旧竹田宮別邸だった大豪邸がTVでよく紹介されるので、代々の資産家のようなイメージを持たれがちだが、実は37歳で起業してから一代で財を成した、類稀な経営者であることを知る人は少ない。

 一般にコレクターというのは自分の資産を注ぎ込んで好きなモノを買い集めて自己満足するものだと思うが、北原さんは自らのコレクションを展示する博物館を運営することで、収集を趣味から事業に変えた。それは前例のない挑戦だったという。

「僕は20歳からコレクションを始め、25歳から集めだしたおもちゃが徐々に知られるようになって、当時のデザイナーや、カメラマン、CMプランナーが僕の集めたモノを使ってくれるようになったんです。転機は1980年の西武百貨店の『不思議、大好き。』というテレビCM。夜中におもちゃが勝手に動き出して、朝になるとバタバタって止まって、矢野顕子さんが不思議な声で歌う。糸井重里さんのコピーで、撮影に僕のおもちゃが使われた。そのCMがカンヌの広告部門の銅賞を取って、西武百貨店でおもちゃ展が開かれたんです。

 それが1週間で3万人も入場して、その年の記録を作った。それが凄く気持ちが良かった。その頃僕が働いていた実家のスキーショップではお客さんが店に入った途端に『この店は何割負けるのか』と聞かれるほどディスカウントが当たり前で、いくら売っても利益が出せずに嫌気が差していた。でもおもちゃ展は500円の入場料を負けてくれという人は誰もいない。3万人で1500万円ですよ。しかも自分のモノを手放さなくていい。見せるだけですから」
 こうして北原さんは自らのコレクションを常設展示する博物館を作ろうと考える。だが周囲からは、うまくいくわけがないと諭されたという。

「デパートが宣伝したからお客さんが来たが、個人でやっても来るわけない。そもそも私立の博物館ってのは企業が儲けた利益で文化的事業としてやるもので、儲けを出すためにやるものじゃない。だいたい『おもちゃみたい』っていうのは安っぽさの形容詞じゃないか、とかね。でも、僕の情熱はそれらの意見よりも勝っていた。1500万円の借金をして、僕と女房と従業員1人の3人で、人脈も、ノウハウも、お金も、何もないところからのスタート。でもそのとき思い描いていたものは、いますべて完璧に実現しましたよ」

 すさまじいエネルギー。博物館の収入のほとんどをコレクション収集に費やし、世界に比類なきおもちゃコレクターとなった北原さんは現在、横浜の「ブリキのおもちゃ博物館」など6ヵ所での博物館を展開。創業の頃、8億円で売りに出ていたのを見て、いつか必ず住むと心に決めた佐島の家も、12年後に手に入れた。

2.いい言葉はいつも背中を押してくれる。「未来は話した言葉で作られる」

 壁にぶち当たることはなかったのか。
「壁だらけですよ。それをバリバリ壊してきた。博物館もこれまでに10軒以上は閉館している。でも僕はいつも、この状況を克服したときには絶対ステップアップしていると思っている。閉館することで1000万円の損失を出しても、『この金で僕はノウハウを買ったんだ』と考える。これはチャンスだって口に出して言うんです。だから明るいよ。僕の人生には100の苦しみがあっても、101の喜びがある。いつも喜びがほんの少しだけ勝っているんです。

 アントニオ猪木さんが、『この道をいけばどうなることか、危ぶむことなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一歩が道となる、迷わずいけよ、いけばわかるさ』って言うでしょう。一休さんの言葉なんだけど、僕もあの言葉大好きですよ」

 そう、北原さんは言葉をとても大切にしている。いい言葉は、いつも背中を押してくれると言う。

「体は食べた物で作られる。心は聞いた言葉で作られる。未来は話した言葉で作られる」とは北原さんの名言だ。何かの機会に、「できない」、「興味ない」と口にすればその先はないが、「できる」、「絶対に手に入れる」と言えば未来にその可能性が生まれる。言葉には大きな力があるのだ。

 北原さんは、おもちゃコレクターであり、言葉コレクター、人コレクターでもある。北原さんの周りにはいつも多くの人が集まる。老若男女さまざま。みんな仲がいい。

「僕がこの人と会いたいかどうかを決めるのは、波動が合うか合わないかだけなんですよ。年齢や、性別、お金や地位があるなしは、全然関係ない。波動が合う人のほうが居心地がいいでしょ。幸い僕は経営者だから誰と会うかは自分で決めればいい。数少ない波動の合わない人とわざわざ会わなくていいんですよ。波動の合う人の周囲にはやはり波動の合う人がいるから、人のつながりはどんどん広がっていくよね」

 50歳を過ぎてエレキギター、サーフィン、ゴルフ、スキューバダイビング、マジックと趣味を拡げたのも、そうした出会いからだという。北原さんは年下の若者も可愛がる。かく言う僕も北原さんに目をかけてもらった1人。8年ほど前に北原さんの講演会を聞き、感激した僕は北原さんに詰め寄り、「もう一度会いたいです」と言った。すると、「明日の12時に箱根のミュージアムに良かったら来れば」とだけ言われたのだ。

 翌日行くと、大勢の人たちがバーベキューをしていて、北原さんに「本当に来たんだ!」と言われ、そこで初めて北原さんとゆっくりしゃべることができた。

「その素直な行動力は偉いよ」と言われて以来、ずっと可愛がっていただいている。

「頭文字を取ってGNOと言うんだけど、義理と人情と恩返しを楽しみにしているわけ。いまは全然大したことなくても、こいつは将来絶対成長するなって、なんとなくわかるでしょう。そういう若者に将来どんどん活躍してもらう。『みんなGNO倍返ししろよな』って言ってね」

 ありがたい。頑張らなくては。

 トーイズの本社オフィスでとてつもなくレアなコレクションを一つひとつ解説してくれながら、「モノって一番欲しがっている人のところに行くようになっているんだよ。だからみんな僕の所へ来る」と笑う北原さん。モノだけではない。言葉も、人も、北原さんの魅力に惹かれて集まってくるのだ。

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