伊藤元重が見る 経営の視点

第3回円安待望論の裏側にある世の中の変化の予感 経営者は眼力が必要

1.円安、株高を引き起こした安倍ショック

 自民党の安倍総裁の金融政策に対する発言が注目されている。
「日銀はデフレ解消のために、これまでよりも踏み込んだ金融緩和策をしなくてはいけない。そのためにはインフレーションターゲティングの採用、国債の無制限の買い入れなども必要だ」というような刺激的な発言をしている。日銀法を改正して、日銀を言う通りにさせようとするという姿勢まで見せている。

 興味深いことに、これに市場が反応しているようにも見える。為替レートは円安方向に向かい始めているし、それを反映して株価は上昇傾向になっているのだ。

 為替市場や株式市場は少しするとまた大きく流れが変わるかもしれない。この原稿が世に出る頃にどのような状況になっているかを予想することも難しい。また、12月に行なわれる衆議院選挙の行方も不透明だ。その先、どのような政治的な枠組みになっているのか、誰が総理の座についているのかもわからない。

 それでも安倍総裁の発言を受けて、市場が動いているから面白い。いま起きていることを見ていて、市場関係者の間でしばしば交わされる格言を思い出した。

「市場は噂で買いに入り、事実を見て売りに出る」というものだ。

 この格言にはいろいろな意味が込められているだろうが、要するにいろいろな噂があるときには市場は動くものだ。しかし、少し時間を見て事実を確認することができると、市場は冷静になってそれまで買いだったものが売りに出ることも珍しくない。

 政治が流動的な現在、市場は噂によって大きく動く状況にある。日本経済が良い方向に向かうのか、それとも悪い方向に向かうのかはわからないが、とにかくこれまでとは違った動きが出てくるだろう。多くの市場関係者がそう考え、そして企業経営者もそう見ているはずだ。

 だから為替レートや株価なども動きやすい環境にある。安倍政権への予想は、とりあえず「円安」を買う動きとなっているようだ。これからいろいろな政策の論議が繰り広げられれば、為替以外のところでも売りや買いの材料が出てくるはずだ。それは金利かもしれないし、特定の分野の株式かもしれない。

2.選挙後の政策をとらえることが経営者にとって重要

 経営者はそうした微妙な市場の変化に敏感でなければいけない。ビジネスチャンスとは、常に変化のあるところに存在するものだ。世の中に変化がなければビジネスチャンスは生まれない。変化があるからこそ、リスクもあるし利益機会も出てくる。

 ただ、「市場は事実を見て売りに出る」という部分にも留意する必要がある。衆議院選挙が終われば、次の政権の枠組みが見えてくる。総理も決まるだろう。そして新しい政権がどのような方向の政策を行なおうとするのかも見えてくるはずである。その時点になって、いまは噂のレベルにあるいろいろなことが、事実になるのかどうかも見えてくるはずだ。

 たとえば為替レートの水準は、総理が安倍氏になるのか、また仮に安倍氏になったとき、その時点でいま言っているようなことを本当に行なうのかなどによって、大きく動くことになる。選挙後の政府の政策の方向について「事実」をきちっととらえることが、経営者にとっても重要になってくるだろう。

 今回の安倍ショックと呼ばれる為替レートへの影響を見て、世の中は変化を予感していることがよくわかる。日本はこの10年、デフレの中で何も動いてこなかった。幸せな不況という言い方さえあるようだが、閉塞感のある安定感の中にどっぷりと浸かっている。

 家計も企業も消費や投資を抑えて、貯蓄だけ積みましていく。だから景気は一向によくならないが、金融市場には金融資産がどんどん積み上がっている。そうした余剰資金の大半は国債の購入に回っている。だから、政府がこれだけ多くの借金を抱え、さらに毎年膨大な財政赤字を出しているのに、国債利回りは超低金利である。

 低金利であるので、なんとか生きながらえている企業も多い。改革を先送りにしても、とりあえずはサバイバルできる。だから景気は悪いが、妙に安定感がある。景気が悪いので、物価は下がり続ける。つまりデフレが続くのだ。

3.経営者は為替や金利の変化に注目すべき

 こうした状況があと5年も10年も続くのだろうか。そろそろ市場が大きく動き始めるのではないか。そう考え始める経営者が増えている。

 政治の動きがそうした変化をもたらすかもしれない。原発事故に始まったエネルギーコストの上昇がデフレを潰すかもしれない。日本の家電産業などが国際競争力を失っていることが、ショックとして出てくるかもしれない。そして何より、財政問題が国債市場を直撃することだってあり得る。

 こうした変化は、いい方向にも悪い方向にも働きうる。過度に悲観的な見方をするべきでもないし、楽観論だけでも危険だ。ただ、変化こそチャンスの種であるとしたら、経営者はこうした変化を見抜く眼力が必要となる。

 当面は為替レートや金利の動きに注目すべきだろう。金融取引で利益を得ようということではない。為替や金利のような市場価格にこそ、微妙な変化がよく見えるケースが少なくないからだ。

 安倍氏が発言したから円安の方向に動いているという見方は、物事の一部しか見ていない。世の中が変化を予感しているからこそ、政治家の発言にも敏感に反応するというように見たほうがよい。当然、他の動きがあっても敏感に反応するはずだ。しかも、為替レートだけで見ても、それは円高にも円安にも動きうるものである。変化の方向はわからないが、日本はいよいよ変化の時代を迎えつつあるように見える。

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