経営は自分の型を持つことが必要。
直営店からGMSのインショップに転換し、会社を成長軌道に乗せる

専攻とは関係のない道に就職。20代にはプロボクシングのプロモートも

櫻田 浅川さんは神戸のご出身ですから、ここ(キムラタン本社)は本当の地元ですね。

 

浅川 そうですね。神戸の下町出身です。父は木工職人でしたが、私は跡を継ぎませんでした。

 

櫻田 京都大学の理系のご出身でなぜアパレルのキムラタンを?

 

浅川 就職のとき、ジャンルを特に決めてなかったのですが、京都大学出身だからと採用する大手企業には絶対入りたくないと思っていました。この会社が地元に近かったこともあって応募しました。

 

櫻田 それでキムラタンに行こうと決めたのですね。

 

浅川 そうです。でも最初は専門用語に結構苦労しました。面接のときはアパレルとは何かすらわからなかったのです。しかし当時の総務部長から、「大企業もええけど小さい企業のトップになるのもええよ」という手紙をもらい、それでキムラタン入社を決めました。

 

櫻田 なるほど。がっちりとした体つきをされていますが、学生時代に何かスポーツをされていたのですか?

 

浅川 ボクシングをしていました。真面目に練習してなかったから、あまり強くはなかったですね。でもその後、プロトレーナーのライセンスを取って、弟の試合のプロデュースをやってました。

 

櫻田 弟さんはプロボクシングをされていたんですか?

 

浅川 はい。世界チャンピオンの一歩手前まで行きました。ベネズエラのチャンピオンに挑戦しましたね。ローカルのジムだったので、弟だけでは試合ができないので、私がプロモートすることにしたのです。

 

櫻田 プロモートは、いつまでやられていたのですか。

 

浅川 30歳前です。ボクシングの世界には10年近く足を突っ込んでいたことになります。いま思えばこのときの経験がその後の私の人生に影響しましたね。

 

櫻田 私も大学時代にキックボクシングをやってましたから、ボクシングを見るのは大好きです。でも、その当時はすでにキムラタンの社員だったでしょう。

 

浅川 さすがにそのときは1年ほど、会社を休んでました。世界チャンピオンへの挑戦には、二足のわらじではできないと思って、「辞めさせてくれ」と上司に言ったんです。ところが上司が理解ある人で、「休みにせぇや」と言ってくれたのです。弟が引退して、僕は94年に会社に戻りました。阪神大地震の1年前ですね。

 

櫻田 なかなか貴重な経験ですね。

 

浅川 はい。勝負事の本質とか、勝負は何で決まるかを、すごく教えられましたね。弟の練習の手伝いもして、試合にはセコンドとして立会い、間近ですべて見てきましたからね。勝負は理屈だけではなく感覚でもわかるようになったと思います。またチケットを売らないといけないので、物売りの難しさも学びました。若くしていろんなことを経験しましたね。

 

 

時代の変化に対応するもうまくいかず、苦しんで再出発

櫻田 95年の震災があってから、2000年までの間は、結構大変な時代でしたから、会社もあまりいい状況じゃなかったのではありませんか。

 

浅川 会社は年々採算が悪くなっていました。うちの場合、専門店のビジネスが収益源でした。ところが時代の変化で、ショッピングセンターが急速に増えてきました。地元の商店街で大きな店舗を構えてやっておられた人たちが次々に消えていき、専門店との取引きがどんどん縮小していきました。そこでわれわれの会社も流行にのって、ショッピングモールに直営店の出店を加速していったのです。ピーク時は全国に150店まで展開しましたね。

 

櫻田 いわゆるSPAですね。かなり大規模な展開だったわけですね。

 

浅川 ところがこのSPAが大赤字でした。なぜかというと、うちはものづくりの会社で、服を作るのはうまいけど、自ら売るのはあまり得意ではない。私たちにとってショッピングモールでの販売は新業態そのもので、当時はこの変化に対応できなかったのです。

 

櫻田 御社の沿革を拝見すると、事業の多角化に一回持って行かれて、そのあとまた軌道修正されたようですね。

 

浅川 全然畑の違うITへの参入ですね。われわれはそういう発想がなかったのですが、周囲から多角化を強いられる状況になり、04年にITに参入しました。しかし門外漢の分野ですから、当然うまくいくはずがない。

 

櫻田 社長に就任されたのは、そんな最中だったのですか?

 

浅川 社長に就任したのは07年の12月です。大幅な改革を断行しました。就任の翌年にはIT事業から撤退し、本社機能も削減を図るため移転し、09年には物流センターの倉庫に事務所を移して仕事をしていたんです。

 

櫻田 そこまでの辛さは、多分われわれの想像を超えていると思います。そのときは、従業員やご家族も大変だったでしょうね。

 

浅川 よう我慢して耐えてくれましたね。倉庫の中の事務所は夏が暑く、冬が寒い。でも社員のみなは文句一つもなしでついてきてくれました。僕自身が給料ゼロの時期が長く続きましたから、妻もよく我慢してくれましたね。

 

櫻田 やっぱりそういうメンバーがいると強いということでしょうね。

 

浅川 そうですね。現在中核を占めている社員は、いまもコスト意識が高く、ビニール1枚を無駄にしないように働いてくれています。取引先を含めて多くの方々に助けていただいたので、本当にありがたかった。

 

 

直営店舗からGMSのインショップへと方向転換し、成長軌道に乗せる

櫻田 社長になられる前から、事業と資金の両方をみていらっしゃったんですか?

 

浅川 入社時の配属が商品部で、その後管理部など転々としました。管理本部室長を経て、2005年に取締役になりました。当時は全体を取り仕切っていましたね。

 

櫻田 現場に出られたので、会社のことが一番わかっておられたのでしょうね。うちの会社はこうやっていくんだ! という方向性はどのあたりに見出されたのですか。

 

浅川 業界的に言うと直営店舗から、インショップへの転換が一番大きかったですね。インショップとは、GMS(大規模スーパー)の売り場への出店のことで、ショップデザインを提示すれば設備は相手側が投資してくれる。直営店舗と異なり、先行投資を低く抑えることができました。いまは200近く出店していて、中核事業になっています。

 

櫻田 とはいえ、お客さんをどう惹きつけるのかという点では、大変だったでしょう。もちろん商品もそうだし、ディスプレイもいままでと結構変えなければならなかったでしょう?

 

浅川 変化はずっとしてきています。直営店を出店すると20坪のテナントなら6000万円売らないと採算が合わないですが、インショップは年間1500万円売れば採算が合いますから。

 

櫻田 でもインショップなら、相手側もたとえ10坪であっても出店者を選びますよね。

 

浅川 われわれはインショップの世界ではわりと先駆けだったのです。いまは競争相手が4、5社いますが、大体このジャンルをできる会社は決まっているんです。

 

櫻田 なるほど、そこでの評価が既にあったと。それでも1500万円で採算をとれるというのはすごいですね。どういう基準で出店しているのですか?

 

浅川 いろいろです。良い物件もあれば、悪い物件もあります。悪い物件なら、それなりに出勤体制などを調整して対応したりしています。

 

櫻田 GMS側からの要望も多いのではありませんか?

 

浅川 GMSの売場の一部から、シーズン終盤のバーゲン時期になると、値下げの要請がきますが、現場のスタッフたちは利益確保のためによく対応してくれています。

 

櫻田 結果として利益が出ているから続けられるているわけですね。

 

浅川 そうですね、粗利が高いので家賃を払って人件費を引いたら利益になる。その位の利益を確保できればいいわけですから。

 

 

新たな成長の型を求めて中国にも拠点を展開

櫻田 浅川さんが経験されてきたことは想像以上に大変だったようにお見受けします。それでもへこたれない強さというのはどこから出てきているのですか。

 

浅川 へこたれさせてくれない(笑)。どこかで「何とかなる」と常に確信を持っていました。そういう意味で楽観的なんです。

 

櫻田 一言では難しいかもしれないですが、社長の信条は何ですか?

 

浅川 信条といえるかどうかはわかりませんが、心掛けていることはあります。まず一番に考えることは、会社を存続させることです。それが社長の使命です。加えていえば、勝負に勝っていく点では、〝型〟をつくり、持つことだと思います。柔道でも人間の生き方においてもそうですが、企業として成長を図る上で、型は絶対に必要です。それが強みなんです。

 

櫻田 先ほどのインショップも一つの型といえるでしょうね。

 

浅川 おっしゃる通りです。体裁や見栄えに惑わされず、ローカルな発想と呼ばれても意に介せず、独自の型を貫くこと。業界の状況や景気などの環境条件は同じですから、「これだ!」と決めて邁進する〝腹のくくり方〟が勝ち負けを左右すると思います。

 

櫻田 こういう時代ですから、さらに新しい型の模索もしていかなければなりませんね。
浅川 はい、国内市場に注力するだけでなく、海外にも目を向けています。前期には中国の上海に拠点を本格稼働させました。展示会の開催などを行ない、アパレルとして展開しています。とにかく新しい型を作ろうと。
櫻田 多くの苦難を乗り越え、厳しい経営環境にも毅然として立ち向かう浅川社長の姿勢に、多くの点を学ばせていただきました。今後ますますのご発展を期待しております。本日はありがとうございました。

 

 

*『CEO社長情報』vol.17掲載

 

|ゲストプロフィール

浅川 岳彦(あさかわ・たけひこ)

1964年兵庫県神戸市生まれ。京都大学理学部卒業後、89年株式会社キムラタンに入社。管理本部課長、商品本部次長を経て、2003年執行役員業務部長。05年に取締役業務本部長、06年エレクトロニクス事業本部長を経て、07年に代表取締役に就任。

 

 

株式会社キムラタン

業 種●ベビー・子供服の企画・生産・販売
設 立●1964年12月(創業:1925年4月)
資本金●9億340万円
売上高●47億7400万円(2014年3月期)
住 所●神戸市中央区京町72番地 
    新クレセントビル
電 話●078-332-8288
URL●http://www.kimuratan.co.jp